200系急行形電車

200系電車は富士山麓電気鉄道が1929年(昭和4年)に大月線の大月―富士吉田を開業したときに製造を開始し甲府線開業時にも増備されたモ1形と、1938年(昭和13年)6月の甲武急行電鉄本線全通時に製造されたモハ50系の2車種を改造した車両です。車体の全長は15mでした。

オールロングシート車が多かったのですが、一部にセミクロスシート車があり1938年(昭和13年)6月の甲武急行電鉄本線全通時は急行で運行され、戦後は特急(1000系登場前は特別料金は不要でした。)などで運行されていました。1952年(昭和27年)からモ1形改造の200系の大部分は車体を載せかえられ、600系になりました。その時に余剰となった旧車体の一部は上田丸子電鉄(現在の上田電鉄)へ譲渡されています。また、車体を載せかえられなかった車両の一部は1953年(昭和28年)に荷物電車のモニ200形に改造されています。 モニ200形は1982年(昭和57年)の荷物輸送廃止まで甲武急行線で活躍していました。

モハ50系改造の200系は1956年(昭和31年)の1000系登場後は特急運用はなくなりましたが、5000系の登場で1000系が転用された1963年(昭和38年)まで急行を中心に使われていました。現在は、モニ200形荷物電車のモニ220号を原型に近い姿に復元したモ20号が河口湖駅構内に静態保存されています。上の画像は1955年(昭和30年)ごろの200系セミクロスシート車の特急です。

上の画像は、1950年(昭和25年)の特急運転開始時に特急車両として使用された200系セミクロスシート車です。

上の画像は1938年(昭和13年)に登場した当時のモハ50系セミクロスシート車です。

上の画像は1929年(昭和4年)に登場した当時の富士山麓電気鉄道モ1形です。

こちらの画像は1977年(昭和52年)ごろのモニ200形荷物電車です。

 

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